終わりを考えることから始める

  最近、「終わりを考えることから始める」という重要性を理解できるようになりました。その出来事が終わったときにどうなっていたいか、どう周囲から思われていたいかを意識することで今の自分の立ち位置や今後すべきことが明確になるからです。そのおかげか、終わりを考えて行動することで今日一日を過ごして「今日も良い一日だった」と振り返ることが多くなりました。

 特に長い期間をかけて成果をだすことにおいて、終わりを考えることがとても重要です。長期的な出来事だとどうしても目先の利益にどうしても目が行ってしまいますが、我慢できなかったらそこでゲームオーバーです。大学生活で例えを挙げるとしたら講義、すなわち単位でしょうか。
 学生食堂等の人の多くいる場所にいると「この授業は楽に単位を取得できる」「この授業は過去問題があるから楽である」という会話を耳にします。大学を優秀な成績で卒業するという「終わり」としてはそれでよいのかもしれませんが、人生における「終わり」においてはその考えが正しいとは言えないのは言うまでもありません。
 本学の学生は目の前にある課題に対してのマネジメント力は優れていると思いますが、長期的な戦術・戦略の立て方、つまりはリーダーシップを取ることはかなり苦手であると感じます。
 僕も含めそうなのですが、どうしても目の前にある仕事に囚われがちです。どうしても早く楽になろうと目の前の仕事に追われてしまう。いかに効率よく目の前の仕事を片付けるかに必死になってしまう。そして終わってみると何も残らなかったり、終わってみて山の頂点に立って登りたい山とは違ったはしごを登っていたことに気づくことになります。

 「スッキリしない終わり方」を時に経験することがありませんか。成績を見てホッとするも、単位を取ることだけに主眼をおいた結果そこに至るまでのプロセスや犠牲にしたことが重要だったかを終わってから気づくことがあります。高い評価や単位だけを追い求めた結果、本当に必要だったものを失い、過ぎた時間を取り戻せないことに絶望します。

 ぜひとも「終わりを考えること」から始めてください。この「終わり」があなたの目標(理想)であり、終わりをまず考えることがあなたを本当に効率よく成功へ導いてくれるものとなるでしょう。

科学で証明されたもの以外「答え」は存在しない

 最近電車に乗っていると本の広告をよく見かけます。注意してみるとその多くが「雑談力を上げる方法~」「お金が~」「幸せが~」「健康が~」と、いかにも人が欲している内容です。極めつけに「~万部発行」と書かれています。
あたかもこれを読めば○○という力が手に入り、幸せになれると言わんばかりにかかれており、これには「答え」があるかのように宣伝されています。
 しかし、この世界において「答え」が存在するものはほぼないと言っても間違いではないと思っています。その一つの例が「強さ」です。プロのサッカー選手は「強さ」を求めます。「勝ち」を想像する人もいるかもしれませんが、勝敗はその2者においてどちらが強うかという尺度でしかなく、本当の強さを示したものではありません。
 強さが数値化できないのがまた重要だと思います。「これだけ練習をすれば」「あれだけの努力をしたのだから」という明確な基準がないからこそ人は努力をし、1ミリでも他の人より強くなり、やがて結果として相手から勝利を手にするのだと思います。
そして強くなるために「必勝法」は必要ないどころか存在しないと僕は思っています。
過去の事例は過去でしかない。時が違えば他も変わっていると考えるのが自然だからです。
 サッカーの実況を聞いていると「得意なパターン」というワードをよく耳にします。得意なパターンとはこの状況においてこの行動をとれば勝てる、はたまた1点がとれる。というものです。もちろん強みができるのはとても良いことだと思います。しかし言いかけると「その状況、そのパターンにハマらなければ弱い」とも解釈できます。

 本当の強さとはどんな状況でも冷静に分析し、その時の手持ちのリソースで何ができるか考察し、目の前の壁を乗り越えていけることだと僕は思っています。強さに正確な尺度がないからこそ、人はより強さを求めることができるのです。
 必勝法や答えはかえって人を弱くすると言っても間違いではないと思います。答えを与えるということは、悩んでいる人から考える時間や分析力を養う機会を奪う。すると、その必勝法が適用できない状況に出くわすとなにもできなくなってしまう。
 「ヒント」をもらうことは新たな発想を生みます。しかし「答え」をもらうことは自分の可能性を消すのです。

 その時の、あなただけの「答え」を見つけて欲しい。そして、一度成果を出したら初心に戻るのです。その成果は過去のものとなるのです。

 困難に直面したときにまず自分で考える。考える力をつけることであなたは強くなり、この先直面する困難にも打ち勝つことができます。その時に最も適した「答え」を見つけられるよう願ってます。

NULLからの挑戦

大学入学時、僕はペンの持ち方を知りませんでした。

中学時代の成績は5段階評価中、オール3。
高校時代は化学で100点中20点をとってしまうほど基礎科目はできませんでした。
受験をしても合格する見込みはないと高校2年終了時に判断し、高校3年のときには推薦入試狙い一本にし、成績が落ちる原因になるであろう基礎科目を避けて、よい成績がつきやすい専門科目のみ受講しました。
無事に指定校推薦で都内の私立大学に入ると最初に数学・物理・英語の試験がありました。3つの科目すべてで学科内ワースト20に入り、学内の塾とも言われる学習支援センターから「このままでは充実した大学生活を送れない可能性が高い。学習支援センターが開講する授業に出席してください」とメールがきました。
幸い、規律を重んじる性格ではあったため(ネット用語でいう真面目系クズでしょうか)、微分積分を週3回(数学I、数学演習I、学習支援センターの数学)受け、同じ問題を何度も解いてやっと単位を得ることができたのは、いまではよい思い出だと感じます。

やみくもにでも勉強をすることで(大学1年終了時点)気づいたことがあります。
①答えは与えられていることが多い
②原理原則を理解していなくても、とにかくペンを持って勉強すれば8割くらいはできるようになる

しかしこれは今後の人生において全くアテにならないことが委員会活動のおかけでわかりました。どちらもほとんどが学業においてのみ成立するからです。学業においては答えが存在しますが、実際に生活をしているとほとんどが答えの存在しない問題だからです。現実はプレーヤー全員が平等でないババ抜きや麻雀のような状態から始まります。この状況でこれをやれば必ず勝てるという「答え」や「必勝法」は存在しません。
大学1、2年のときは何も考えずよく勉強をしていました。しかし、試験が終わるとどこか虚しい。今思えば、手にしたものは闇雲の努力したこと、単位と、無駄に過ごした時間です。数学の公式がなぜ成立するのか、なぜこの法則を利用するのかを考えなかったため機械のようにただ単純作業ができるようになった、くらいしか得た気がしませんでした。

幸いにも所属していた委員会活動やさまざまな学生、大人の人との出会いによって多くのことに気づき、少なくとも大学入学時よりかはいくらか大きくなることができたと思います。

 

僕はもうじき学生生活を終えます。

人々が成し遂げられなかった成功をほんのばかり経験したり、逆に小学生でもしないような失敗も数々経験してきました。
後世のみなさまには、僕がやって成功したことを超える成功をしていただく、僕がやって失敗したことを嘲笑っていただき同じ失敗をしないことを願い、今回このような形で文字にして残すことにいたしました。

ただし、みなさんが期待する答えのようなものはほとんどないと思ってください。なぜなら僕がやってきたことは

 
①まずは理解(真似)に徹し、そして考えてチャレンジする
②失敗や恥をかくことを恐れない
③自問自答を繰り返し、原理原則から物事を考える

④感謝する

もっと砕いて言えば
・わからないことは調べる、質問をする。そしてやってみる
・なぜ?と考えてみる
・人が嫌がることをしない、決まりを守る
・いただきます、ごちそうさま、ありがとう。を忘れない

みなさんも小さい頃に両親から教わったであろうことをそのまま行っただけです。キレイ事のように思われるかもしれませんが、残念ながら僕はこの程度のことしか行ってきていないのです。みなさんが小学校の頃にやってきたことを大学生になった今になって行っているだけなのです。

 

本稿では以下の目標を掲げます
・僕の考えを僕の言葉で説明すること。どなたが読んでも同様の理解ができ、その上で議論ができる(みなさんが考えることのできるような)読み物にすること
・僕の一つの考えを示すこと。僕の主張を示すが、僕の考えの押し付けは行わない。
・正しい日本語表現を使うことを心がけること。

今までまともに文字や言葉に触れる生活をしてこなかったため誤った表現や言葉が足りない部分がでてくるかと思います。その場合はお手数ですがご指摘いただけるとうれしいです。僕の考えが受け入れられない場合もあるかと思います。それはそれで全然構いませんし、歓迎です。僕のレベルが低ければ「こうならないように自戒しよう」、「私はこっちのほうがよいと思う」と思えばそれでよし、内容がつまらなければページを閉じればよいだけです。

また、あいにく僕はスティーブジョブズのような創造的な人間ではなく、先人の考え等を参考にして来ている部分が多いです。そのため本稿は先人の考えの翻訳というのが正しいのかもしれません。

このような試みは初めてですのでいろいろなことが起こると思われます。みなさんの反論が正しいと思えば主張を変えるかもしれませんし、このWebサイトの構成や更新方法を変えるといった面での変更もあるかもしれません。

この更新を通してもまた多くのことを経験して成長していきたいと考えております。


以上をご理解の上、読んでくださればと思います。